2007年1月28日 (日)

夜回り先生(水谷修先生)の講演会のお知らせ

「生きていてくれてありがとう〜夜回り先生からのメッセージ」
水谷修先生がまた3月に来福されて、熱く語ってくれます。
明るい社会づくり運動福島県運営委員会も後援しております。
生きることに悩んでいる方、お子様のことで悩んでいる親御さん、
ぜひ、水谷先生に会い、言葉を聴いて、今一度生きることの素晴らしさを考えて
みませんか。

日時:平成3月25日(日)開場13:00 13:30〜15:00
会場:須賀川市文化センター 大ホール
       (須賀川市牛袋町11番地 電話0248−76−7777)
参加費:無料
   希望者は往復はがきに①申込者氏名②連絡先(郵便番号・住所)
  ③年齢④電話番号⑤同伴者(1人まで)がいる場合はその人の氏名・年齢
  ⑥返信はがきの表に申込者の宛先(郵便番号・住所・氏名)を明記の上、
  2月26日までに申し込んでください。(応募多数の場合は抽選となります)
申込先:〒963−8024 福島県郡山市朝日1−8−1 立正佼成会郡山教会内
 「青少年育成講演会」係
問合せ先:青少年育成講演会実行委員会 佐藤佳男 024−921−5656
主催:財団法人 新宗連 福島県協議会

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2006年4月27日 (木)

僕の宝物

先週、48回目の誕生日を迎えた。
仕事で何かと忙しく、一人寂しく過ごそうかと考えていた。
「お父さんの誕生日が週末になることなんて、
そうないんだから、絶対帰って来てね」の娘の一言で、
新幹線に飛び乗り、我が家に戻った。
大学の近くにアパートを借りている長男も
久しぶりにわざわざ駆けつけてくれた。
高校3年の二男が照れくさそうに、
誕生日おめでとうと言って、
似顔絵を渡してくれた。
48th
やさしい笑顔だった。
子供たちにこんなに素敵な笑顔で
今まで自分は接してきたのだろうか
と反省した。
忙しさの中でも、皆で誕生日を祝えるなんて
なんて素晴らしいことだろう。
僕の宝物、
それは子供たち。
君たちは僕の希望の星。
こんな素敵な子供を生んで、育ててくれた妻に
あらためて感謝したい。
本当にありがとう。
そして、これからもよろしくね。

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2006年4月 8日 (土)

結婚20年目に思う事

3月16日でちょうど20年目を迎えた。
思えば、良く連れ添ってくれたと感謝している。
結婚早々、妊娠、見知らぬ土地への転勤、長男出産。
その後も仕事人間の私を支え、愚痴一つこぼさず、
家事、子育てに一人で苦労していた。
二男が生まれたとき、斜頸と医者に言われ、
泣いていた妻に慰めの言葉一つ掛けられなかった。
その後また異動となり、抱っこちゃんと言われる程
まとわりついていた二男と1才半違いの長男を抱え、
慣れない土地で、心細い想いをしていた妻の苦労を
知っていながら、自分の事で精一杯だった。
人よりも努力して良い仕事をして、成果を上げて
出世して少しでも楽をさせたいと焦っていた。
日常の些細な事などどうでも良かった。
妻の望んでいることはちっぽけな事と馬鹿にしていた。
何のために一緒に暮らしているのか、
何のために結婚したのか、
考えようとしなかった。
仕事が変わり、単身赴任になって4年。
一人になって初めて、何のために一緒になったのかを
今、真剣に考えている。
20年経ってあまりにも遅すぎたのかも知れない。
それでも、14才になった娘からは、
お母さんのことを分かろうと努力していると
誉められるようになった。
妻は、私の努力をいつも認めていてくれた。
たとえ上司から誉められなくても頑張れたのは、
そんな妻の理解と支えがあったからと、
心から感謝している。
妻もきっと、私から「良くやっている。ありがとう。」
のたった一言が欲しくて、頑張ってくれたのだと
今になってわかった。
体の弱かった妻が、3人の子供を生んで育ててくれ、
もうそれで十分なのに、
家事に対するちょっとした手抜きを
見過ごす事ができなかった。
これからは、妻の一番の理解者になろうと思う。
誰が何と言おうと、妻は世界で一番の素敵な女性だ。
僕が必ず君を幸せにする。一緒に幸せな家庭を築こう。
と言ったあの日を忘れずに、
これからも死ぬまで愛を育んで行きたい。

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2006年3月21日 (火)

自分を磨き、未来を切り開いて

3月21日の福島民友新聞のNIEのページに
2005年「土の中の子供」で第133回芥川賞を
受賞した中村文則さんが母校の福島大学で行った
講演会の内容が掲載されていたので、
一部を抜粋して紹介します。
「座右の銘は、サルトルの言葉で「実在は本質に先立つ」。
僕なりに解釈して説明すると、
能力よりも自分がどう生きるか何をするかで、
人間は自分を変えていける。
この中で自信がない、うまくいかないと
考えている人がいるかもしれないが、
努力し、自分を磨いていくことで、
自分自身を変えていくことができる。
  僕は、その言葉を励みにここまできた。
自分自身が楽しいと思える人生を歩んでいけるように、
一卒業生として願っている。」

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2006年3月20日 (月)

誰から先に起こすか

例えば、100人位の仲間と大宴会で深酒をし、
ぐっすり熟睡している時に、火事が起きたとする。
そんな時、あなたならどうするか?
大声で「火事だあー」と叫んでも誰も起きない。
隣の人を叩き起こしても寝ぼけている。
こんな状態だと皆焼け死んでしまう。
先日、「早起こし理論」というのを教えて頂いた。
それによると、まず始めに起こさなければいけない人は、
その人が起きた後に、周りの人を起こすことができる人
から先に起こす、ということだった。
そのためには、日ごろからコミュニケーションを良くし、
誰がどんな人なのか良く知らなければならない。
とにかく、寝起きの悪い人に時間を取られていると
多くの人を助ける事ができなくなってしまう。
誰から先に起こすのは極めて重要なポイントとなる。
新しいことを始めようとする時も同じだ。
早く末端まで行き渡らせるためには、
理解者から先に説明し、
理解者を増やす努力をする事が大事だ。

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2006年3月17日 (金)

交通事故にご注意を

以前は、3月から4月にかけては花粉症のため、薬を飲んでいたので
この時期は車の運転が嫌だった。
薬の副作用で、眠くなるのと、花粉症によるイライラ感から
どうしても注意がおろそかになってしまった。
今年は、ヨーグルトの効果か、薬を飲まなくても
花粉症の症状がほとんどなく、快適だ。
先日読んだ本の中で、高齢者の認知症の方の交通事故の危険性を
どう回避するかという問題についての論文があった。
それによると、家族の説得が効果的との事だ。
私の義理の父は81才で、元気に運転しているが、
最近は、夜は運転しなくなった。
また、同じ道しか通らないようにしていると言っていた。
高齢者にこそ、車は便利な乗り物だが、
日本のように、渋滞していたり、
マナーの悪い運転手が多いと、
年配の方には極めて危険だと感じている。
田舎になればなる程、交通機関がなく、
マイカーが必要になっているのも問題である。
地域の中で、巡回バスの運行や、
ボランティアによる車の手配など、
地域ぐるみの取り組みが待たれている。
それなくしては、今まで優良ドライバーだった
高齢者から運転免許を剥奪することは
人間の尊厳を傷つけることにもなりかねない。
これから益々高齢社会になり、
真剣に取り組まなければならない問題だと思う。

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2006年3月 6日 (月)

感性こそリーダーの生命線だ!

「強いリーダーシップの絶対条件」(国司義彦著、こう書房発行)
を一気に読んだ。その中で、いろいろ大事なポイントを教えて
頂いたが、これだと思ったのが、
第3章「感性」こそリーダーの生命線だ!。
その中で著者は、
●感性を高める10カ条として
1.自然の摂理を大切にする
2.感動を味わう
3.末端・現場を知る
4.快・不快の印象を大切にする
5.自分と違う人の存在を尊重する
6.いつもと違う環境に入る
7.歴史を振り返る
8.古典を学ぶ
9.素朴な興味、関心、好奇心を持つ
10.静かに自分を見つめる
を挙げている。
知識や経験ばかりでは誰もついて来ない。
混迷、激変の現代においては、
自然の前で、絶対の真理に敬虔な態度で臨み、
常に自己を内省できる人間となることが
今、求められているのだと思った。
単なるノウハウ本ではないので、
自己を見つめ直し、考えを確認し直すには
最良の本なので、迷っている人にはぜひお薦めだ。
ただし、一読だけでは、理解できないので、
繰り返し読み続けることをお勧めする。

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2006年3月 5日 (日)

人間の本性とは

最近読んだ本「心にのこる禅の名話」(佐藤俊明著、大宝輪閣発行)に
徳川時代の盤珪禅師の言葉が載っていたので紹介します。

人間の本性というものは鏡のようなものじゃ。
本来何もない。
ものがくれば映るが、鏡の中に生じたものは何もないぞ。
ものが去れば消えるが、鏡の中に滅したものもない。
鏡の中は生ぜず、滅せずじゃ。
また、きたない犬の糞を映したからからとて、
鏡はよごれはせんぞ、
きれいな花を映したからといって、
それで鏡がきれいにはならんぞ。
鏡の中はよごれず、きよからずである。
重いものが映ったからといって、
鏡の目方は増えやせん。
軽いものが映ったからとて
鏡の目方は減りゃせん。
鏡の中は増やさず減らさずである。
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「鏡=かがみ」から「が=我」を取ると
「かみ」になる。
私も自分の鏡を磨き続け、
我をなくすよう努力し、
人間として成長したい。

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2006年3月 2日 (木)

いのちを輝かせるには

私は父が嫌いだった。
小さい時、夫婦喧嘩が絶えず、随分といやな思いをした。
気の利かない母が怒られないように、父の世話をするのが
私の役割だった。
母の悪口を聞くのが嫌だった。
亭主関白で、料理や洗濯をした事が無く、1日も母なしでは
生きられない父だった。
8年前、旅先で、母が小脳出血で危篤となり、
その後、先生や看護士さん、私達兄弟の看護で奇跡的に生還。
乗り物に弱い父は、決死の思いで一度だけ見舞いに来た。
担当の先生から今後の生活上の注意事項を告げられて
何かを覚悟して帰っていった。
3ヶ月後の退院の時、誰がこれからの世話をするか話し合ったが、
結局、まだ子育てに忙しいお前たちには迷惑はかけられない、
俺が世話をするからと言って、
家でやっていた糸繰りの仕事も全てやめて、
それから1年半以上、母の看病、食事の世話から、
掃除、洗濯を全て父が一人でやってくれた。
買い物もしたことがなかったので、総菜売り場で、コロッケを
2つ買うのに30分位どうしたらいいか分からず、その場で
買う人の様子を眺めて、やっとわかったとかいう話を
随分後になってから聞かされた。
しばらくの間は、母には絶対家事をさせず、
母の血圧が上がらないように、細心の注意を払っていたようだ。
リハビリのために、家庭菜園で採れた野菜をご近所に配るのが
母の日課となっている。
今年の正月、帰省した時に、父が少し安心したのか
「最近、うちのばあさんがぼけて困るんだ。それに、すぐ怒って、
私はあんたのせいで、倒れたんだから、面倒をみるのは当然だ。
と、威張って困る」と話してくれた。
「父さん、母さんは再発の恐怖といつも戦っているんじゃないかな。
先生が言っていたでしょう。今度再発したら、絶対に助からないって。
それに、父さんが優しくしてくれるから、甘えているんだと思うよ」
と噛み締めるように、父に言った。
母の病気の看病を契機に14年振りに父の勘当が解けて、
行き来するようになってからの父を見て、
父は、本当は母のことを愛していたんだな。と心から思えるように
なり、あれだけ嫌っていた父のことを心から許し、好きになった。
最近では、誕生日にはいつも電話で「この世に僕を生んで下さって
本当にありがとう」とお礼の言葉を言えるようになった。
そういうと、ちょっと照れくさそうにしている父。
自分を生んでくれた両親を好きでなければ、
感謝していないとすれば、
きっと根無し草になってしまう。
自分のいのちを輝かせるには、
いのちの源である父や母のことを、そして自分自身のことを
愛せなければ、
何も始まらないんだと思う。
親を恨むのは簡単。でもそれでは、いつまで経っても
いのちは輝かない。

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2006年2月28日 (火)

豊さの中でなくしたもの

コンビニは本当に便利だ。
でも、私が小さかった頃、近所の雑貨屋でお金がなかったとき、
黒板でお菓子が買えたのでした。
貧しかった我が家は、その雑貨屋から月末に清算する形で、生活に
必要な味噌や醤油などを買っていた。
今となっては記憶には無いが、どうしても欲しいお菓子があると、
我慢しきれずに「黒板で買えるからお金はいらないんだ」と、
その店のおばさんに黒板でお願いしますといっていたと、
母が時々、からかうように言う。
あまり高価なものはなかったし、本当に必要でないものは、
店のおばさんも許可してくれなかったらしい。
我が家の家計を良く知っていたからだ。
母との思い出と言えば、
小学校の3年の時に、隣に住んでいた叔母の財布からお金を盗んで
友達とおもちゃを買ったことがあった。
人付き合いの悪い私は、その時、友達と一緒におもちゃを買う事が
何よりも大事なことだと思い、人様のお金に手を出したのだ。
そんなことは直ぐに母親にはばれて、
いつになく真剣な眼差しで、頬をぶたれ、謝る事はないのかと詰問された。
悪い事をしたと思ったが、貧乏だから、友達がいないんだ。僕は悪くない。
と、勝手な理屈で、黙り込んだ。
すると、母は、凄い力で、僕を縁側から外へ投出し、
「人様のお金に手を出すような子供を産んだ憶えは無い。
お前を殺して、自分も死ぬと」すごい形相で、泣きながらぶたれた。
その後のことは良く覚えていない。しかし、
それから数日したある日、
お前の誕生会をしてあげるから、クラスのお友達を呼んできなさい。
そして、10人くらいの友達が集まり、料理上手の母の手料理を皆
喜んで食べたことや友達からのプレゼントをもらったことを、
昨日の事のようにはっきりと覚えている。
母は私が何故、叔母のお金に手を出さなければならなかったのか、
分かっていたのだ。
3人の親となった今、こんなにも子供の事を思い、必死で子供を
叱って来れなかった自分を反省している。
今の暮らしは、私が小さかった頃に比べれば天国と地獄程の差がある。
豊かさの中で忘れたもの。
それは、子供のことを心から本気で思う親の心。
あの時の母は、本気だった。子供のためだったら死ぬ覚悟があった。
と同時に、子供の心を見抜いていた。
母のお陰で、今を生きている。
ありがとう母さん。

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